まだ、ガラパゴスが島の名前に聞こえていた頃。
この国の携帯電話契約数は順調に伸びていた。
誰しもバブルであることは分かっていた。
人口にそれが追いついてしまえが、頭打ちになることなど、考えてみるまでもない。
未来はバラ色であると言わなければならない、言うのが仕事である人たちは、2つの提唱をした。
「一人が2台以上所持する時代」
「人以外が携帯電話を持つ時代」
一方は全くの的外れではない。
2台以上の端末を所有する人は、そう珍しくなくなった。
しかしその理由は思い描かれていたものとはかけ離れいてる。
提唱当時の説明自体、ほとんど冗談のようなものだったと記憶している。
発言者がまじめな顔で立派な資料を用いて説明をしていたのだから、一流の冗談だと言える。
まさか「通話用と通信用」「スマホが使いづらい」「こっちのは電波が入りにくい」「MNPでキャッシュバックを受けるため」などがささやかれるなど、夢にも思わなかっただろう。
もとより提唱者も、もうひとつの可能性に賭けていたのではないか。
人との契約にこだわる必要はどこにもない。
この国には、子供の数より多くのペットがいる。人口の半分の数の自動車がある。20メートル置きに自動販売機がある。
携帯電話を電話と捉えるから人以外が持つのが不自然なのだ。
多機能情報端末と考えれば、可能性は爆発的に高まる。
そして、その多機能情報端末はスマートフォンと読み仮名が振られ、爆発的に高まったのは通信量であった。
契約数の2割がスマートフォンに変わっただけで、通信障害が毎月恒例になり始めた。
携帯電話は社会インフラになってしまった。
俺のブログが更新されなくても誰も生活に困らないが、蛇口の水をひねっても水道が出なければ生死に関わる。
インフラは止まらないことが最優先であり必然だ。
ちなみに料金未納により止まる順番は、電気、ガス、水道だ。生活に必要なものほど止まりにくい。社会の厳しさと優しさが同時に身にしみる思いだ。
話を戻す。
人が持つことすら危ぶまれている状況で、人以外に携帯電話を持たせている場合だろうか。
もちろん、技術革新により状況が一変することはあり得る。
LTEやXGPなどの第4世代携帯電話になれば、帯域は分散できる。
似た台詞は何度も聞いた。
「この高速道路が開通すれば渋滞は解消する」
「滑走路を拡張すれば参入航空会社が増え競争によりコストが下がる」
「いまの倍の人数の技術者を投入すれば納品に間に合う! #デスマ」
携帯電話は社会インフラになってしまった。なりすぎてしまったのだ。
日々増える通信量の競争をしながら全国にある無数の基地局を新しい技術に置き換え終わる頃には、次の技術が開発される。
最新の旧世代基地局が、この国の景観に存在感を増し続けるだろう。
人口が減りながら通信量が増える社会。
通信料金は上げにくいが、通信速度は上げなくては競争の土俵にすら上がれない社会。
私はこれを、少子高ビットレート化と呼びたい。
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