おいしい広島 Advent Calendar 2012 の12月22日を担当させていただきます。かけなびですま。
人の意見に流されない強い子に育って欲しい。
そう願った父は、広島のこの地で、息子を読売ジャイアンツファンに育てました。
小中高と、諸事情により転校を繰り返しましたが、決してジャイアンツの帽子を被って学校に行ったからではありません。いま思えば、あのとき死ぬかと思ったのが産まれて二度目だ。
さて、転校を繰り返したと述べましたが、実生涯成績では広島以外に済んでいた期間の方が長いです。
では、なぜ広島クラスタなのか。
私が拾われた川が、広島だったのです。どんぶらこ、どんぶらこ。
よくある話です。
なぜか親という生き物は、子供に対し「あなたはうちの子じゃありません。拾って来たのです」と言うギャグを言う時期があるのです。
私の親もそうでした。
広島市内を流れる6本の川。そのうちの一本の川の名前を引用して、母は私に告げたのです。
「あなたは、天満川の○○橋の下に、□□というメーカーの段ボールに入って放置されているところを、××月△△日の××時△△分に、○○駅で広島電鉄の電車を降りて家に向かっていた会社帰りのお父さんに、子犬と間違って拾われたの。だから、あなたの名前は、☆☆としたの」
母は日本語に厳しい人です。そのためか、見事な5W1Hでした。若手社員の皆さん、相手に伝える報告はこのようにするものです。いま思えば、あのとき泣きながら家出したのが産まれて二度目だ。
後日談ですが、私の衝撃を見かねた母は、真相を教えてくれます。
「前に話したのは冗談よ。本当は、天満川沿いの○○橋の東側にある産婦人科であなたは産まれたのよ」
もう自転車に乗れるようになっていた私は、興味を持って○○橋に行ってみました。
○○橋の東側には、船着き場がありました、
この日を境に私は、母を人に紹介するときには、育ての母と紹介しています。
そんな育ての母は、私が九州の学校に進学する事になった際、ひとつの事を教えてくれました。
「人間、なにか一芸がなければ生きていけない。あなたは広島風お好み焼きが作れるようになってからでなければ、九州で人に馴染めない」
どう考えても焼酎のお湯割りが作れるようになっている方が人に馴染めると思うのですが、育ての母は真剣でした。
その日から特訓が始まりました。
大阪の人が一家に一台たこ焼き機があるように、広島の人ならお好み焼きは作れて当然だろう。そう思われる方も多いかもしれません。
作れる方も多いようですが、家によってはお好み焼きの作り方が門外不出の場合もあり、家族でも限られた者しか知らない場合もあるのです。ニンジャです。
もっとも我が家の場合は、このままいくとエンゲル係数が3桁になるのではないかと危惧されるほど食べていた育ち盛りの私が、おやつに代わりに「麺トリプル入お好み焼き」を、食べるという事態を受け、「そんなお好み焼きをホットプレートの上でひっくり返せるのは育ての母だけ」という事実があった事は見逃せません。
ただ、外食の場合も多いです。実は、香川県のうどん屋さんの数が約700店に対し、広島県のお好み焼き屋さんの数は約1800店と、もうちょっと他の事に力を注げなかったのかというお店があります。
事実、私の勤務先の会社から最寄りのコンビニに歩くまでにお好み焼き屋が4店あるあたり、あと3店あれば一週間毎日違うお店に行けたのにと思わざるを得ません。週休何日なんだ、うちの会社。
ある日、育ての母に訪ねた事があります。なぜこんなにお好み焼き屋が多いのかと。
曰く、「なんらかの事情により女ひとりで家族を養わなければならなくなったとき。鉄板とヘラがあれば始められるお好み焼き屋は、生計を成り立てるように大変有効」という回答だでした。
子供ながらに、その洞察力には驚きました。
たしかに、町の小さなお好み焼き屋は、おばちゃんがやっているのです。旦那が手伝っている店というのは少ない。まれに手伝ってる店がありますが、製造過程を見ていると、まあお父さんは奥でテレビでも見ててくださいという状況なのです。
子供ながらに尊敬した育ての母の洞察力。その後、育ての母がやたらお好み焼き作りが上手な事、自宅にでかい鉄板があること、家族のかずよりヘラの数が多い事の関連性にまで気がつくのは、その子の成人を待たねばならなかった。
追伸
いいえ、きちんと親父とお袋は仲良くやっています。また、私が近年激太りしてみたところ、母そっくりになったので、たぶん産みの母も兼任しています。
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