この投稿は、すごい広島AdventCalenderの13日目の記事です。
最近、広島風お好み焼きの事を、広島焼きと呼称される事があると聞く。
私を含め、たいていの広島出身者は、これを聞くと違和感を超えて怒りに似た感情を持つのだが、そのことをなかなかご理解頂けない。
そこで今回は、なぜ広島出身者が、広島焼きという言葉を受け入れないのかご説明する。
引き合いとして、うどん県を出させて頂く。。
なぜか。うどん好きの県民性を自他共に認めているということは、内と外から同じ価値観で語ることが出来るからだ。例としての引き合いには打って付けなので、何卒非礼をご容赦頂きたい。
さて、仮にここに、うどん県出身のM君がいるとする。
彼は小さいときから、讃岐うどんを食し、讃岐うどんを愛している。
そんな彼にとっては、讃岐うどんこそが、うどんである。
成長した彼は、他の地方に出かけ、そこでうどんを食べる機会を得る。
感じる違和感。これはうどんなのか?
しかしメニューにはうどんの文字。
そこで彼は知る事となる。
うどんは、関東と関西でダシの製法が異なり、大きく味が異なる事。なかでも自分の出身地方のうどんは、讃岐うどんという、うどんの流派のひとつであることを。
ここまでは、うどん県出身者にとって、珍しい経験ではない。
ここからが、例え話となる。
仮に、彼の出身地の伝統料理の名称を、讃岐うどんとではなく、香川麺と呼称されていたとしたらどうか。
赴いたその地で、己の欲するうどんを食すためには、うどんを探してはいけない。彼の生まれ故郷でうどんと呼ばれていた食品は、香川麺と呼ばれている。
うどんを食べたいと思えば、香川麺を頼まなくてはならないのだ。
例え話はここまでである。
お分かり頂けるだろうか。
「あなたが食べていた物は○○ではなく、××である」
これほどのアイデンティティーの否定を、貴方は受け入れられるだろうか。
広島風お好み焼きは、お好み焼きの一流派である。広島焼きなどという聞き慣れない物ではない。讃岐うどんが、うどんの一流派であるのと同じである。
広島人との関係を円滑に保つためにも、ご理解頂ければ幸いである。
ところで私は、大学に進学するにあたり母親から「なにか一芸がないと通用しない」と、広島風お好み焼きの作り方を三日かけてレクチャーされ、ビデオにも撮影して受け取った次第が、いまとなってはよく覚えていない。どおりで通用しないわけだ。
さて、明日のすごい広島AdventCalenderは、Diaminohexさんです。
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