2013年12月13日金曜日

あなたが「広島焼き」と言ってはいけない、ただひとつの理由。

この投稿は、すごい広島AdventCalenderの13日目の記事です。

最近、広島風お好み焼きの事を、広島焼きと呼称される事があると聞く。
私を含め、たいていの広島出身者は、これを聞くと違和感を超えて怒りに似た感情を持つのだが、そのことをなかなかご理解頂けない。
そこで今回は、なぜ広島出身者が、広島焼きという言葉を受け入れないのかご説明する。

引き合いとして、うどん県を出させて頂く。。
なぜか。うどん好きの県民性を自他共に認めているということは、内と外から同じ価値観で語ることが出来るからだ。例としての引き合いには打って付けなので、何卒非礼をご容赦頂きたい。

さて、仮にここに、うどん県出身のM君がいるとする。
彼は小さいときから、讃岐うどんを食し、讃岐うどんを愛している。
そんな彼にとっては、讃岐うどんこそが、うどんである。
成長した彼は、他の地方に出かけ、そこでうどんを食べる機会を得る。
感じる違和感。これはうどんなのか?
しかしメニューにはうどんの文字。
そこで彼は知る事となる。
うどんは、関東と関西でダシの製法が異なり、大きく味が異なる事。なかでも自分の出身地方のうどんは、讃岐うどんという、うどんの流派のひとつであることを。

ここまでは、うどん県出身者にとって、珍しい経験ではない。
ここからが、例え話となる。

仮に、彼の出身地の伝統料理の名称を、讃岐うどんとではなく、香川麺と呼称されていたとしたらどうか。
赴いたその地で、己の欲するうどんを食すためには、うどんを探してはいけない。彼の生まれ故郷でうどんと呼ばれていた食品は、香川麺と呼ばれている。
うどんを食べたいと思えば、香川麺を頼まなくてはならないのだ。

例え話はここまでである。

お分かり頂けるだろうか。
「あなたが食べていた物は○○ではなく、××である」
これほどのアイデンティティーの否定を、貴方は受け入れられるだろうか。

広島風お好み焼きは、お好み焼きの一流派である。広島焼きなどという聞き慣れない物ではない。讃岐うどんが、うどんの一流派であるのと同じである。

広島人との関係を円滑に保つためにも、ご理解頂ければ幸いである。

ところで私は、大学に進学するにあたり母親から「なにか一芸がないと通用しない」と、広島風お好み焼きの作り方を三日かけてレクチャーされ、ビデオにも撮影して受け取った次第が、いまとなってはよく覚えていない。どおりで通用しないわけだ。

さて、明日のすごい広島AdventCalenderは、Diaminohexさんです。

2013年12月9日月曜日

ええ列車で行こう 〜山陽本線編〜

この投稿は「広島弁 Advent Calendar 2013」の9日目の記事です。

筆者は広島の生まれである。
いや、正確には、広島で誘拐されたと両親からは聞いている。
ちなみに、弟は広島で拾われたと聞いてる。
現実として、その名残が兄弟の名前に残してある辺り、とんでもないリアリティである。

父親が転勤族であったため、広島で育った期間は長くはない。
おかげで、何が広島でしか通じない方言であり、何が広島以外でも通じる共通語であるのかは、身を以て理解していた。

九州の某大学に進学したころ、Windows95が発売され、インターネット時代が到来した。

人は、新しく自由な物を手に入れると、何をして良いかわからなくなる。
小学生の頃、初めて国語辞典を与えられた筆者は、何をしたら良いかわからなくなり、毎日毎日スイカの項目を引いていた程だ。

きっとインターネットは世界を変える。
だが、いま目の前にあるパソコンで、何をしたら良いのか。
悩んだ挙げ句、広島弁について調べることとなる。

そして、運命のWebにたどり着く。
バーチャル達川君である。

黒い背景の左上に「Sorry , This site is Japanese only.」と書くのがオシャレとされていたその時代に、「Sorry, HIROSHIMABEN only.」である。
それ、英語で書く必要あるのか。大きなショックであったことを覚えている。

今回、広島弁AdventCalenderに参加させて頂くにあたり、最初に思い出したバーチャル達川君について書こうと決めていたのだが、予期しない事態が2つ発生した。

ひとつめは、上記のバーチャル達川君が「バージョンアップを兼ねてお引っ越ししたんじゃ!」と書いてあるが、これを押すと404 NOT FOUNDであることだ。
バージョンアップした方が行方不明で、バージョンアップ前が残っている。いかにも20世紀のインターネットである。

ふたつめは、バーチャル達川君を検索したら、ソーシャル達川君が見つかったことである。
筆者にとっては、大きな発見であった。
なによりもこのサイトの最大の特徴は、最も目立つボタンが「消すけえね」であることだろう。この目立ち方では、書いた文章を消すのか、押した人間を消すのか分からない。まさに仁義なき戦いである。

さて、広島出身者の方で、広島県外の方とコミュニケーションを取る必要がある方には、先駆者として、人柱として、3つのアドバイスを差し上げたい。

1・「はぶてる」は通じない。共通語では「ふてくされる」らしいが、全然しっくり来ない。筆者はこの事実に、はぶてた。

2・「えー、ちょっと広島弁で話してみてよー」と言われても気軽に話すべきではない。周囲の反応は「なんか思ったのと違う」となりがちだ。仁義なき戦いあたりに要因がありそうだが、目下調査中である。

3・広島で英語を習得する際には、教師をよく選ぶべきだ。「広島弁のイントネーションで英語を話す人」を教師としてはならない。カタカナ英語より通じなかった。

広島弁に、ぶち幸あれ。

広島弁AdventCalenderじゃけど、ちいと日が空いて、anpunchさんが担当するけえね。

2013年12月7日土曜日

アーキテクチャというかアルゴリズムというか。

機械の設計に惹かれたときの話をする。

当時、私は工学部の学生であったが、知識として授業の単語は頭に詰め込むもの、何の役に立つのか、どう役に立つのかは分からなかったし興味もなかった。
いや、訂正する。授業は頭には入っていない。
既に頭は、明日発売のゲームのことでいっぱい、そんな学生だった。

ゲームを買うには、お金が必要だ。
授業が終わった私は、学内のATMに向かい、待ち人達の列に加わった。
16時54分。
絶望的に思えた6人の行列は、意外にも早く減っていき、とうとう私の番だ。

当時まだ民営化される前の、某金融機関のATMにキャッシュカードを差し込む。
カードを差し込み、「引き出し」のボタンを押し、暗証番号を入力する。
金額を入れると、機械のなかでは紙幣を数える機械と紙の音がし始め、しばらくお待ち下さいの画面が表示される。
次に期待する動作は、紙幣の取り出し口の扉が開くことなのだが、扉は開かずにもう一度機械と紙の音が響く。
不思議に思っていると、画面が更新された。
「残高が不足しています」
紙幣の扉は開かず、キャッシュカードのみが戻ってきた。

ちょうど17時となり、この日の晩ご飯は、おかゆかけご飯になったことは言うまでもない。

だが、私はお金より貴重な事を得た。
なぜ、残高が不足していたにも関わらず、紙幣を出す処理が行われ、また機械の中に入っていったのか。無駄ではないか。
考えれば分かることである。
ATMは、その処理時間を最短にするべく、処理が工夫されていたのだ。
お金を引き出す場合、通常は貯金残高は足りている。
時間のかかる「貯金データベースとの通信処理」の完了を待たずに、紙幣を用意しておき、通信が正常に終われば扉を開ければ良いようになっている。
残高不足という異常系の客の待ち時間が長くなったとしても、全体の平均時間は短く出来る。

心から感心した。
あまりのことに、おかゆかけご飯の味すら覚えていない。思い出すまでもない味だが。

もしかして、当然のこととして受けている恩恵の全ては、こういう工夫の積み重ねなのではないか。これ以来、世界の見方が変わった。
機械や道具の設計の理想とは、使用者が存在を意識しないレベルになることだ。いまこれを読んでくださっている貴方が、眼球をどのように動かしているのか意識していないのと同様に。
そんな仕事がしたい。強く思った。

さて、いまの私は、あの頃の自分の理想に近づけているだろうか。
久々にATMの扉が開かない経験をしながら、ふと思い出したのだった。

違う。
残高不足じゃない。
暗証番号間違いだ。
未だ理想には近づけていないが、確実に老いたようだ。

随分遅くなったが、訂正する。お金の方が貴重だったかもしれない。おかゆかけご飯は炭水化物すぎ、身体を壊したからだ。この話はまたいつか。