機械の設計に惹かれたときの話をする。
当時、私は工学部の学生であったが、知識として授業の単語は頭に詰め込むもの、何の役に立つのか、どう役に立つのかは分からなかったし興味もなかった。
いや、訂正する。授業は頭には入っていない。
既に頭は、明日発売のゲームのことでいっぱい、そんな学生だった。
ゲームを買うには、お金が必要だ。
授業が終わった私は、学内のATMに向かい、待ち人達の列に加わった。
16時54分。
絶望的に思えた6人の行列は、意外にも早く減っていき、とうとう私の番だ。
当時まだ民営化される前の、某金融機関のATMにキャッシュカードを差し込む。
カードを差し込み、「引き出し」のボタンを押し、暗証番号を入力する。
金額を入れると、機械のなかでは紙幣を数える機械と紙の音がし始め、しばらくお待ち下さいの画面が表示される。
次に期待する動作は、紙幣の取り出し口の扉が開くことなのだが、扉は開かずにもう一度機械と紙の音が響く。
不思議に思っていると、画面が更新された。
「残高が不足しています」
紙幣の扉は開かず、キャッシュカードのみが戻ってきた。
ちょうど17時となり、この日の晩ご飯は、おかゆかけご飯になったことは言うまでもない。
だが、私はお金より貴重な事を得た。
なぜ、残高が不足していたにも関わらず、紙幣を出す処理が行われ、また機械の中に入っていったのか。無駄ではないか。
考えれば分かることである。
ATMは、その処理時間を最短にするべく、処理が工夫されていたのだ。
お金を引き出す場合、通常は貯金残高は足りている。
時間のかかる「貯金データベースとの通信処理」の完了を待たずに、紙幣を用意しておき、通信が正常に終われば扉を開ければ良いようになっている。
残高不足という異常系の客の待ち時間が長くなったとしても、全体の平均時間は短く出来る。
心から感心した。
あまりのことに、おかゆかけご飯の味すら覚えていない。思い出すまでもない味だが。
もしかして、当然のこととして受けている恩恵の全ては、こういう工夫の積み重ねなのではないか。これ以来、世界の見方が変わった。
機械や道具の設計の理想とは、使用者が存在を意識しないレベルになることだ。いまこれを読んでくださっている貴方が、眼球をどのように動かしているのか意識していないのと同様に。
そんな仕事がしたい。強く思った。
さて、いまの私は、あの頃の自分の理想に近づけているだろうか。
久々にATMの扉が開かない経験をしながら、ふと思い出したのだった。
違う。
残高不足じゃない。
暗証番号間違いだ。
未だ理想には近づけていないが、確実に老いたようだ。
随分遅くなったが、訂正する。お金の方が貴重だったかもしれない。おかゆかけご飯は炭水化物すぎ、身体を壊したからだ。この話はまたいつか。
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